
大門の門の作りについて説明します。
門口が三つあります。右門、中央門、左門とあります。本来は、この間口の真ん中中央門は、神様が通る道とされていました。
参拝者は、左右両サイドを通る門口として通用いたしました。
もし、中央門を通るのを見つかったら心得のない不届きものとされて、問答無用で締め出されました。厳しかったのですね。
ただ高野山の場合、谷系があり、高野山内でも容赦無く中央門から、叩き出されました。罪人の道ともいわれました。
平安時代は、今ように伽藍も奥の院も、離れたところにありませんでした。
大門をくぐったら、すぐに奥の院でした。そのため大門の前が空き地が広がっていますが、道路工事の際に、地中から大量の骨壷が、発見されました。西方浄土と見立てられていたためです。そのため大門近くのお寺さんは阿弥陀様を祀っているお寺さんが多かったようです。
つづく
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(SARASVATI)
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