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第三番金泉寺

執筆者の写真: sarasvati1123sarasvati1123

更新日:2022年5月12日




三番亀光山 釈迦院 金泉寺

「キコウザン シャカイン コンセンジ」と言う名前で  

今もこんこんと湧く大師の霊水で有名なお寺です。

桓武天皇により天平年間(729年から749年)に健立。

金光明寺と言われておりましたが、のちに、弘法大師が、巡錫中水不足で悩む住民の声を聞き井戸を掘りました。すると霊水が湧き出たため、その素晴らしさに感動した大師様は、堂宇を立てて金泉寺と改称いたしました。この後亀山天皇が金泉寺を崇拝し、京都の蓮華王院にならって三十三観音堂をまねたお堂を健立、さらに千手観音様を安置して、山号を亀光山と称しました。天皇は、勅願の道場として経堂を作り、日本各地から、学僧を集めて講演を行い寺は大いに栄えたと言う。その頃の古い地図には、東門、南門等が記され古図面が伝わっております。

朱塗りの門の前に立ちお参りさせて頂きます。ご挨拶をして仁王門をくぐると、左手に鐘楼右手に八角形をした八角観音堂がみえてきます。山を背景に、正面本堂右手に改修された大師堂、その手前に、黄金の井戸のある黄金地蔵尊像が建っております。左側にある護摩堂の格天井には、美しい花鳥が描かれております。見どころの一つとなっております。本堂はなだらかな瓦屋根が印象的です。天平の兵火で、大師堂以外は焼失してしまいました。今の本堂はその後復興されたものです。境内はいつ訪れても気持ちよくお参りさせていただける様に、きれいに清掃されております。

朱塗りの門をくぐり右手側にある弁財天様にお参りいたしました。私は弁財天様にご縁がありますので、必ず弁財天様のところに参ります。参りますとなんとも言えない心地よい風が吹いてきます。心が洗われたように感じられるのです。

私が病気の時に弟が、手術の日に間に合う様にと、代わりに八十八ヶ所を回ってくれた時も、風が吹いたそうです。いつもなら宝くじなど当たった事のない人が見返りを求めたわけではないですが、当たりました。

そんな体験もさせていただきました。皆さんも弁財天様をお参りして風を感じてください。

風が体感できるといいですね。

ここのお寺には、弁慶の力石がありますが、源氏平氏の戦いのために、屋島に向かっている途中に、寿永4年「1185年」義経一行が、戦闘祈願でこの寺に立ち寄り、弁慶が持ち上げて、士気を上げるために行われた行為です。

京都の五条橋「現在松原橋」で初めて乱暴ものの弁慶が、100本の刀を集めるのを悲願に通り行く人に斬りかかり集めていました。100人目が牛若丸「源義経」が五条橋を笛を吹きながら通りかかります。弁慶は襲い掛かります。牛若丸は欄干を飛び回り最後は、弁慶は帰り打ちに遭い、牛若丸に降参して家来になります。ここから弁慶が牛若丸「義経」に臣従して、最後まで裏切らぬ心根も大切だと思います。一途に従って、最後は立ち往生で義経を逃しました話は有名ですよね。

神様仏様を一途に、信仰されるのも一つの信頼関係ですし、人間界に於いても、信頼関係で大切なことだと思います。

恩を忘れたらいけないと思いますし、人間が生きていくうえに置いて、弁慶と、牛若丸「義経」に学ぶべきところがあると思いますが皆さんはどう思われますか。恩を忘れず頑張ってみてくださいね。

黄金の井戸(井戸)についてお話しておきます。八角観音堂の手前にありましてお寺の名前になった井戸は、今もこんこんとお水が湧き出ております。

いろんなお寺山で井戸の覗くと何かがあると言われるところが各種ありますが、ここの井戸は、影がはっきり写れば長寿、ぼやければ、短命だそうです。勇気のある方覗いてみてください。さあ、あなたはどちらでしょう?!

朱塗りの仁王門の前に立ちお参りさせていた事をお礼を言います。また次に無事に向かわせていただけるように感謝して、

御礼を言い四番札所にむかいます。

次の四番さんに行く通り道ではないのですが、あせび温泉♨️というところがあります。お泊まりはできませんがお遍路で汗で汚れた体を洗い疲れを取るにはいい温泉だと思います。綺麗で、町中から離れた山の中にありますので自然浴をしながらアルカリ硫黄泉に浸かって体を休めて、次の4番さんに向かわれるのも良いと思います。


愛媛県松山市開運占いサラスヴァティ(sarasvati)

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